ビッグモーター創業者の兼重宏行社長は、一代で大企業を築いていますが、どのような生い立ちだったのでしょうか。
そこで今回は、ビッグモーター社長・兼重宏行氏の生い立ちや、両親、そして兄弟について見ていきたいと思います。
兼重宏行のプロフィール
一代でビッグモーターを大企業にまで成長させた、兼重宏行氏はどんな人物なのでしょうか。
名前:兼重 宏行(かねしげ ひろゆき)
生年月日:1951年5月1日
年齢:72歳
出身地:山口県岩国市
職業:実業家・ビッグモーター代表取締役
ビッグモーター社長の兼重宏行氏は、山口県岩国市生まれの72歳です。
1976年5月、25歳の時に山口県岩国市において「兼重オートセンター」を創業します。
1978年5月、27歳で株式会社化し、ビッグモーター代表取締役社長に就任します。
その後、株式会社ハナテン取締役会長や株式会社ビッグアセット代表取締役を歴任します。
兼重宏行の生い立ちはアサリ業者?
ビッグモーターは、CMによると店舗数は全国各地に300店舗以上、従業員数6000名、売上高は7000億円以上と言われております。
さらに、買取台数は6年連続日本一など、上場はしていませんが、まさに大企業という名をほしいままにしている会社です。
そんな大企業に成長させた兼重宏行氏は、山口県岩国市に生まれ、一家は近くの川でアサリなどを採って生計を立ていたと近隣の住民は話しています。
兼重宏行氏は、高校を卒業すると自衛隊に入隊し、同時に友人が働く自動車修理工場に出入りしていたという。
その後、1976年に「兼重オートセンター」を設立することになります。
兼重氏が若干25歳の時でした。
当初は、一人で自動車修理をしていたことから、お客さんはあまり多くはいなかったそうです。
しかし、数年で人を雇うようにまでなったという。
兼重氏に店舗を貸していた大家さんの話では、大家さんの母親が急に病院に行くことになった時、率先して車を出してくれたそうです。
その後、騒音で近所迷惑の苦情が来ていたわけでもなく、近所に迷惑がかからないようにと、別のところに引っ越していったという。
心優しく、気遣いのできる青年だったようですね。
そして、事業も順調だったようで、ビッグモーターとして店舗を3店舗まで拡大させたという。
その頃になると広い庭のある和風建築の自宅を建て、出勤する時は運転席から近所の人に対して会釈をするなど、評判がよかったそうです。
現在の兼重社長のイメージとは全く違う一面があるようですね。
兼重宏行の両親や兄弟
兼重宏行氏は、母親が最初の結婚で二男一女をもうけ、その夫がなくなって再婚したそうです。
そして生まれたのが、兼重宏行氏だったそうです。
兄弟とはお父さんが違いますが、両親は分け隔てなく子供たちを育てていったという。
自宅敷地内には2棟の家が建っていましたが、1棟を上の兄弟は住み、もう一棟は兼重氏が暮らすようになったそうです。
家族構成については、両親と兄2人・姉・本人の6人家族ということになります。
兄弟が保証人に?
ビッグモーターが店舗拡大を始めた頃、兼重氏に頼まれて兼重氏の兄たちが保証人になっていたそうです。
しかし、ある日突然、これからは自分一人でやると言い、兄弟との縁も切ると宣言。
兄弟喧嘩をしたわけでもなかったというが、理由は定かではないという。
兼重氏は、兄弟との縁を切るとまで言っていますから、何らかの一大決心をしたと推測されますね。
お姉さんはビッグモーターの経理を手伝っていましたが、全国展開するために借金を背負い、そのために迷惑をかけないよう退路を断ったという噂もあります。
その後、兼重氏と兄弟は一度も会うことなく、連絡も取っていないそうです。
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兼重宏行の生い立ちまとめ
今回は、ビッグモーター社長・兼重宏行氏の生い立ちや、両親、そして兄弟について見てきました。
兼重宏行氏は、山口県岩国市で生まれ、一家はアサリを採って生計を立てていました。
高校卒業後に自衛隊入隊とともに、自動車修理工場にも出入りしていたようです。
その後、自動車修理で人を雇うまでになり、さらに店舗を拡大していきました。
心優しく、笑顔で近隣住民と接していた頃もあったようで、現在のイメージとは全く違っていたようです。