高校サッカーの名門校である東福岡校のサッカー部総監督である志波芳則氏が、部員に体罰を加えたとして辞任したことが分かりました。
そこで今回は、志波芳則総監督の経歴や嫁・子供などの家族、そして体罰の原因となった部員が破った規則について見ていきたいと思います。
志波芳則のプロフィールや経歴
志波芳則氏は、1950年12月1日生まれの現在72歳です。
福岡県福岡市の出身で、福岡商業高校(現:福翔高等学校)から日体大を経て、1972年に東福岡高校サッカー部コーチとなっています。
その後監督に就任し、1997年には高校総体、全日本ユース、高校選手権の三冠を達成し、公式戦52戦無敗という大記録を達成しています。
主な戦績は次のとおりです。
1993年、全国高等学校選手権大会ベスト4
引用元:Wikipedia
1995年、全国高等学校選手権大会ベスト4
1996年、高円宮杯全日本ユース選手権準優勝
1997年、全国高等学校総合体育大会優勝
1997年、高円宮杯全日本ユース選手権優勝
1997年、全国高等学校選手権大会優勝
1998年、全国高等学校選手権大会優勝
2002年、全国高等学校選手権大会ベスト8
2003年、高円宮杯全日本ユース選手権ベスト4
2013年、高円宮杯プレミアリーグWEST第2位
2014年、全国高等学校総合体育大会優勝
志波芳則の嫁や子供・家族
志波芳則氏は結婚されており、息子さんがいらっしゃいます。
奥さんに関しましては、一般の方ということで公表されておりませんでした。
しかし、志波芳則氏は長年にわたり東福岡校を名門の強豪校に育て上げるなど、サッカーの指導に情熱を捧げてきたことから、奥さんが陰ながらサポートし、献身的に支え続けて来たことと推測されます。
息子さんに関しましては、名前は志波範彦(しわ のりひこ)さんといい、年齢は45歳前後と思われます。
息子さんは父親がサッカーをやっていたことから、本人も小学生の頃からサッカーを始めています。
息子の志波範彦さんは、志波芳則氏が監督を務める東福岡高に入学し、サッカー部に所属していました。
また、自彊館中学校でサッカー部監督を務めていたことが分かり、東福岡校でもコーチを兼任していたことがツイッターで確認できました。
体罰原因の部員が破った規則とは?
読売新聞オンラインの報道では、志波芳則総監督が部員に体罰を加えたことで引責辞任したと報じられています。
同高によると、志波総監督は5月18日、サッカー部の寮内で、規則を破った部員1人の頬を平手で1回たたいたという。総監督は寮長を務めていた。部員にけがはなかった。総監督は6月5日に辞表を提出した。
引用元:読売新聞オンライン
報道では規則を破ったとしか報じられておらず、明確には分かりません。
しかし、サッカー部の寮内で破る規則となれば、門限を破ることや、たばこ・飲酒などが考えられます。
部員1人の頬を平手で1回たたいたようですが、部員には怪我はなかったという。
その後、志波総監督は辞表を提出しています。
今回が初めての体罰であれば、生徒に対し何度も注意していたが耳を傾けなかったことで、業を煮やして手が出てしまったことが考えられます。
学校側の処分としては厳しいように感じますが、体罰には違いなく、本人が「何も言い訳はできない。重く責任を受け止めている」と話していることから、処分というより自ら辞したとも考えられます。
5月18日に体罰があり、6月5日に辞表を提出していることから、その間に体罰を行ったことに対し、保護者への説明なども行われた可能性があります。
みんなの声は
志波総監督は同高を全国屈指の強豪校に育て、長友佑都選手を始めとする多くのプロ選手を輩出しており、いろんな声が上がっています。
・今の東福岡サッカー部があるのは、志波監督のおかげでもある。
規則を破った生徒を平手1回で全国ニュースになり、辞任ですか。・おそらく以前から体罰があって、それまでは容認されたり、内々に収めていたんだと思います。それが今回表沙汰になったということは、総監督のカリスマ性が弱まり、世間の風潮として体罰は悪という価値観が高まっているように思います。
・本当に72歳の老人の平手打ち一回で辞任させたとしたら、学校への貢献度も考えると厳しい処罰と思う。
引用元:Yahoo!コメント
志波芳則の経歴まとめ
今回は、志波芳則総監督の経歴や嫁・子供などの家族、そして体罰の原因となった部員が破った規則について見てきました。
志波芳則氏は、現在72歳で長年にわたり東福岡高校のコーチ・監督を務められ強豪校に育て上げた手腕は素晴らしいものがあります。
そしてそれを支える奥さんや、父親と同じサッカーの道を歩むお子さんがいます。
体罰によりサッカー部総監督を辞任することになりましたが、辞任を惜しむ声が多くの方から寄せられているようです。