馬場雄大選手はプロバスケットボールで活躍し、父は元バスケ選手ですが、「ジャイアント馬場」という検索ワードが気になります。
そこで今回は、馬場雄大選手の父親は元バスケ選手でジャイアント馬場との関係、そして、兄弟(姉)や家族も調査しました。
馬場雄大の父親は元バスケ選手!
馬場雄大選手は、父親の影響でバスケを始めたそうです。
馬場選手の父親は、馬場敏春(ばばとしはる)さんという方で、新潟県出身で現役時代は三井生命に所属するバスケットボール選手でした。
年齢は、1955年4月26日生まれの68歳です。
身長が200cmあり、体重は90kg
馬場敏春さんの高校時代は、北越商業高校のバスケ部に所属し1973年の千葉国体では、地元新潟県のエースとしてチームを準優勝に導いています。
その後、法政大学に進学します。
大学時代も高身長であるにもかかわらず、巧みなシュートやディフェンスも上手かったことからポイントガードとして活躍し、モスクワ五輪予選の日本代表選手にも選ばれています。
現役を引退されてからは、富山県に移住しミニバスのコーチとして指導に当たっていました。
現在は、富山第一高校のバスケットボール監督を務めています。
馬場雄大選手は、富山第一高校の出身ですから、父親が監督の下でプレーをしていたことになります。
馬場敏春のプロフィール
・名前:馬場敏春(ばばとしはる)
・生年月日:1955年4月26日
・年齢:68歳
・出身地:新潟県
・身長:200cm
・出身大学:法政大学
馬場雄大とジャイアント馬場との関係は?
馬場雄大選手に関して検索ワードには「馬場雄大 ジャイアント馬場」というキーワードが出てくるので気になり、調査をしました。
馬場雄大選手の父親も200cmあり、大柄な体であることから、親戚関係があるのか調べてみましたが、関連性については特別見当たりませんでした。
おそらく、「馬場」という名字が同じであり、身長も突出して大きかったことから検索した人が多くいたのではないかと推測されます。
ちなみにジャイアント馬場さんは、1938年新潟県三条市生まれで、小中学時代は野球部に所属し、高校2年生の時に中退し、読売巨人軍に入団しています。
後にプロレスラーとして転身し、アントニオ猪木氏らとともに一時代を築いています。
馬場雄大の兄弟(姉)や家族は?
馬場雄大選手の家族構成は、父親・母親・姉・本人の4人家族です。
お姉さんは馬場選手と3歳違いで、馬場選手がバスケットボールを始めるきっかけを作ったと言われています。
馬場選手が幼稚園に通っていた頃、お姉さんはミニバス教室に通い始め、当時父親がそのミニバスチームのコーチを引き受けるようになったため、寂しさから父について行ったそうです。
馬場選手はその当時、父親の隣で試合を見ていたところ、居ても立っても居られなくなり、バスケットを始めたという。
お姉さんの試合の様子を見て、子どもながらにやってみたくなったのでしょう。
お姉さんに関しては、情報があまりなく、職業などは分かりませんでした。
馬場選手のお母さんについては、若い頃にバスケットボールをやっていたそうです。
試合に出場する馬場選手を応援したり、馬場選手にとっては大きな支えになていたことでしょう。
母親とのエピソード
馬場選手の幼いころのエピソードとして、馬場選手が幼いころ野球チームに誘われた時、「野球に行ったらお弁当を作らない」と言って、行かないように仕向けたという。
今となっては笑えるエピソードですが、お母さんの一言がなかったら、もしかしたら野球に行っていたかもしれませんね。
それを考えるとお母さんのファインプレーでしたね。
馬場雄大の父親まとめ
今回は、馬場雄大選手の父親は元バスケ選手でジャイアント馬場との関係、そして、兄弟(姉)や家族も調査しました。
馬場雄大選手の父親は、馬場敏春さんといい、高校時代はバスケットボール部のエースとして活躍し、国体にも新潟県チームを牽引し、準優勝に導いています。
出身大学は法政大学で、大学時代はモスクワ五輪予選の日本代表選手に選ばれています。
所属先の三井生命を退いてからは、ミニバスのコーチ、そして富山第一高校の監督を務めるなど、バスケットボール一筋の生き方を貫き、馬場雄大選手もそんな父親の背中を見て努力してきました。
一丸となって馬場雄大選手を支えている家族ですが、馬場選手の更なる活躍が楽しみですね。